ようこそ横浜へ!
これから私達のとっておきの横浜をご案内しましょう。

 

 山手の丘 NO.2                      中山 敏

横浜市イギリス館
「港の見える丘公園」のバラ園に隣接するコロニアルスタイルの西洋館がイギリス館です。英国総領事館公邸として、昭和12年(1937年)に上海の大英工部総署の設計によって建てられました。レトロなシャンデリアのもと、白いレースのカーテンが揺れる室内は英国風の落ち着きと明るさに満ちています。昭和44年に横浜市が取得し、一般に公開されています。
よく晴れた五月の午後、立ち寄ってみると、芝の庭で五重奏団のガーデンコンサートが開かれていて、典雅なモーツアルトの曲が流れていました。

大佛次郎記念館
「港の見える丘公園」に開港期の横浜絵にあるような煉瓦造りの姿を点じるのが大佛次郎記念館です。
大佛次郎は大正末から昭和にかけて「鞍馬天狗」や「霧笛」など、多くの小説・史伝を書いた作家です。ロビーの床にはローマ時代の原石を使い、大理石のモザイク絵をちりばめるなど、上品な宝石箱のようなかがやきに満ちています。
七つの室内照明には、猫好きだった大佛さんにちなんで、それぞれ異なる七匹の猫が乗っています。
和室の広間ではお茶会も開かれるなど、和と洋の文化が楽しめます。設計者は倉敷の美術館と同じ浦辺鎮太郎氏です。

山手111番館
「港の見える丘公園」のはずれにスペイン風の赤レンガと白亜の壁の西洋館が建っています。大正15年(1926年)アメリカ人のJ・H・モーガンによって作られました。
モーガンは東京の丸ビルの設計者です。二階まで吹き抜けになったホールが珍しく、地下室と思って階段を下ると、斜面地を利用したバルコニーに導かれます。横浜市は持主から土地と建物の寄贈を受け、山手111番館として平成八年四月から一般公開しています。二階から眺めるベイブリッジも山手らしい風景です。


 

 山手の丘 NO.1 横浜山手のフランス山           中山 敏

横浜の観光スポット、山下公園から間近に見える樹木の生い繁った丘がフランス山です。幕末にはフランス軍の駐屯地となり、昭和31年までフランス領事館がありました。その北側斜面に新しく木製の階段園路が作られ、山頂には散策広場が整備されて、今年2月11日にオープンしました。樹齢百年に近い大木もある林に囲まれて煉瓦造りの建物跡が残り、当時の風車も復元されました。港の見える丘公園の一部として、フランス山は今も横浜山手の歴史を伝え続けています。


 

 ヨコハマの茶室 NO.3                  中山 敏

【ビルの屋上庭園に立つ佳招庵】
横浜駅西口から徒歩数分の距離にあるホテル・キャメロットの6階屋上には、緑濃い日本庭園が広がっています。外腰掛けが立つあたり、滝口の石組に水は涼しい音を立てて流れ下り、紫折戸の奥に立つ茶室が4畳半台目の佳招庵です。昭和56年の席開きには裏千家の鵬雲斎大宗匠が来庵され、佳招庵と命名されました。赤松の床柱、網代編みの天井も風雅な造りです。棟続きには12畳の広間、証入軒もあり、休日には茶会やお茶の研修会などで賑わいます。


 

 ヨコハマの茶室 NO.2                  中山 敏

【寺家ふるさと村の白心庵】
横浜市の最北端、緑区寺家町(じけちょう)に昭和初期の農村風景にタイムスリップしたような寺家ふるさと村が作られています。その郷土文化館にある「白心庵」は四畳半台目の茶室です。にじり口を備え、網代編みの天井も風雅で、下地窓からはナラやクヌギの雑木の丘が間近に眺められます。庵の下には田圃が広がり、山里めいた風情の中に建つ茶室は日頃の喧燥を忘れさせてくれます。白心庵の名付親は、二代前の横浜市長西郷道一氏だそうです。


 

 ヨコハマの茶室 NO.1                  中山 敏

【ランドマーク・タワーの開光庵】
日本中の茶室の中で、地上から一番高い所に造られた茶室が横浜のみなとみらい地区のランドマークタワー65階にある開光庵です。房総半島や相模湾、富士山、伊豆半島まで、雄大な眺めが広がります。ロイヤルパークホテルの施設で、八畳広間、四畳半台目の茶室、椅子式の立礼席があり、客は好きな席を選ぶ事ができます。開光庵は年中無休で、いつでも釜にふつふつと湯がたぎっています。専任スタッフによる優雅なお点前を拝見しながらお茶を喫するひとときは外国人にも人気が高いそうです。予約されるのが便利と聞きました。開光庵は、この地上高い茶室が世界への友好・文化の発信基地となるよう願って命名されたそうです。


 

 三渓園ところどころ No.5                中山 敏

【鶴翔閣】
大池に近く、みどりの山なみを背に立つ大きな茅葺(かやぶき)の家が鶴翔閣です。原三溪自身の設計で、明治35年(1902)に原家の邸宅として造られました。鶴が羽をひろげたような姿から、三溪は鶴翔閣と名付けました。青畳の香り漂う3つの客座敷、レトロな洋間、原家の人たちが生活した簡素な居間。長年の傷みや改築部分を創建当初の姿に修復したのは平成12年でした。横浜が誇る市指定有形文化財として、茶会や筝曲のつどいなど、さまざまの文化行事に使われています。


 

 三渓園ところどころ No.4                中山 敏

【春草廬】
内苑の奥深く、ひっそりとたたずむ春草廬は原三溪が宇治の三室戸寺から月華殿とともに譲り受けた茶室です。伝承では江戸初期、織田有楽の作とされ、国の重要文化財に指定されています。確かに三畳台目に九つの窓が織りなす造形は明るく、軽快で、新しい意匠を好んだ有楽の作風に通じるものがあります。茶会には付属する小畳八帖の席が使われます。三溪が、やす夫人がお茶を楽しめるように増設した小屋敷で、小柄な造作に優しさが漂っています。


 

 三渓園ところどころ No.3                中山 敏

【月華殿】
月華殿は宇治の三室戸寺に伝わった伏見城の遺構でした。原三渓が譲り受け、大正7年(1917)に内苑の奥に移築しました。襖の絵から緋扇の間(ひおうぎのま)、竹の間と名付けられた広間は大名の控えの間だったと言い伝えています。檜皮葺(ひはだぶき)の屋根、深閑と白い障子をとざした姿はとても簡素です。茶会の席待ちで広縁に座っていると、絶えず谷川の水音が聞こえ、秋は紅葉した樹々の錦に、初夏は青楓をそよがせる涼風に、山中の別荘に憩う気分が味わえます。


 

 三渓園ところどころ No.2                中山 敏

【臨春閣】
内苑の池畔にたたずむ臨春閣。ルーツは徳川吉宗も幼時を過ごしたという紀州徳川家の別邸です。欄間に珍しく高麗笛や笙、ひちりきなど、実物の楽器をあしらった「天楽の間」は奥方の居間とも伝えています。二階の「村雨の間」は三方吹き放ちの望楼で、狩野山楽描くしぐれに濡れる松林の襖絵からの命名。傘がほしいなと見廻したらありました。欄干の柱がすぼめた傘の彫刻なのです。臨春閣は毎年開かれる五流家元茶会の茶席に使われています。

【聴秋閣】
内苑も聴秋閣のあたりまで来ると山里の風情です。楓の木が多く、秋は書院の白い障子も紅葉に染まってしまいそうです。将軍家光上洛の折、京都二条城内に造られた数寄屋で、襖には立葵の絵が品よく描かれています。銀閣風に二階に切った火灯窓は、外苑の丘に上ってくる名月を眺めるのに絶好の場所とか。秋を聴くとは古来、風の音に秋の気配を感じ取ることでしたが、聴秋閣の書院に座って原三渓自からの設計になる谷川の音を聴いていると、水の音にも秋はありました。


 

 三溪園ところどころ No.1                中山 敏

【三重塔】
お茶会がある日、三溪園を訪ねると目に映るのが丘の上に立つ三重塔の美しい姿です。約550年前の建築で、原三渓が大正3年に灯明寺から移築しました。三重塔のふるさとは吉祥天女がおわします浄瑠璃寺の北4キロの山里です。各層の軒には風鐸が吊るされていて、風が吹く日にその下にたたずむとガラン、ガランと荘重な音を聞くことができます。淡交会の先生方が席主をつとめる三渓記念館の呈茶席「望塔亭」の名も三重塔にちなんでいます。


 

Copyright (C) 2002 Tankokai Yokohama